暑中お見舞い申し上げます

(2017年07月25日)

各地の降雨による大災害、雨を免れている関東などは日照りで川が干上がりダムの貯水がままならない自然の配剤が恨めしい昨今です。

22日、福岡の「もっ帯(たい)ない」展が小沢綾子さんを招いてにぎやかに成功を収めたと伺っています。

東京芸術劇場に集っていただいた展覧会がいろいろなドラマを生んでいます。
今日は着物サロンのゲラが送られてきました。
私が去年の春NHKの深夜放送「明日への言葉」からも大きいな反響がありました。

18日の朝バーランドさんの声とともに池田澄江さんのお話がありました。

感銘をした私は初めて長い長い手紙を今日一日かけてき上げました。
次のブログに掲載しますんで日本の本当の歴史の一端をお読みくださいませ。

明日への言葉  七月一八日火曜日
『三つの名前で生きて』

池田澄江様  ご担当者様


池田様は今日まで生きるのに中国で終戦の混乱の中、生後一〇か月の時、母乳が出ないので預けた中国人の養父母からつけられた「徐明」さん。
でも中国人として育てられ日本人であったことさえ知らず本当の名前も知りませんでした。
中國の方とご結婚、三人の子供をもうけ四〇代が終わるころ、残留孤児と判明、日本の戸籍を作るとき「今村明子」となりました。そして、ついに五一歳の時肉親捜しでお姉様と出会えDNAの鑑定の結果「池田澄江」様と判明したのですね。


敗戦の結果三つの名前で生き貫いてこられたとのこと、どんなドラマより濃密で奇跡的なお話に固唾を飲み耳をそば立てながらラジオを聞いた方たちが大勢いたはずです。
中国全土で昭和二〇年八月の出来事の中に置かれた日本人も、日本にたどり着いてよりすでに七〇年の歳月が経ち多くの方が他界しましたが家族、縁者は数知れません。
私もその一人です。昭和二十年八月九日、満州に何が起きたか本国の方たちには想像もつかないことだったと思います。 「ロシヤ軍が不可侵条約」を破って中国の国境を越えて攻め込んできました。最前線にはロシアの囚人たちが盾になっていたと聞いています。


無知の悪人たちが進軍の露払いで暴行、強姦、奪略をしながら無力な日本軍に遮られる事なく突入。私が住む撫順市内に入って来たのは八月二十日頃の早朝!
ロシア軍の戦車、見たこともない大きなトラックにおびただしい軍人を乗せ押し寄せてきました。兵隊たちは乱暴狼藉を働きながら日本人を襲撃し難民が追われ坊主頭の女性達がボロボロの服で町の中に行列で続いてきました。
ロシヤ軍はすでに勝戦国として凱旋してきました。


市内に着くや否や軍人たちの略奪、強姦、暴行が始まり近所の家の女中さんが生贄にされ自殺したのです。
池田さんは赤ちゃんで何も分からないまま逃避行の中、中国の方に救われ取りあえず第一号の名前『徐明』がつけられご苦労の中ででも生き延びられてよかったです。
日本で「赤ちゃんを手放した」ご両親やご家族の悩みやご心配、祈りがいかばかりであったかも想像し涙がこみあげました。


私たち家族は撫順に住んでいましたが父は招集され、家にはロシア軍から逃れた日本人の難民を受け入れ、ここでは語り切れない戦争のもたらす悲劇を沢山見聞し私一家も巻き込まれました。
やっと始まった昭和二十一年春からの引き揚げ行脚は、いつでも池田様と同じように残留孤児になる一歩手前でした。無蓋車の停車するところには子供を買いに村の男たちが立ちはだかっていました。
行軍する原野には死亡した人たちの土塁が遠くまで見渡せました。


成長された池田様が苦難の中から一つ一つ知恵と努力で残留孤児の道を開き日本の国の法律を勝ち取りました。
今日まで来られたリーダーシップにも深い畏敬の念を感じ嬉しかったです。
また、明日への言葉の放送を聞いて「日中友好の会」が今ならかろうじて当時十歳以上だった方も生きていて共感できていると思います。持続できる会に育て本当の日中友好を広めてください。私も中央美大を卒業した中国の方を息子の一人としてお手伝いし成功することが出来ました。


いま日本、アジアがいつ戦争に巻き込まれるか案じられる状況です。もう戦争で親や家族が巻き込まれないで!
私の父は現地召集でロシヤの属国であった外蒙(現モンゴル)の兵隊たちがロシヤ進軍の前線に召集され参戦していました。敗戦処理で父は現在のモンゴル・ウランバートルの地に抑留され戦病死しました。「モンゴル会」という遺族と戦友達で構成され墓参ができるようになりましたがやはり関係者がどんどん他界しています。
日本の抑留者は凍土の原野にスフバートル将軍が夢見たウランバートル都市を建造する任務に就きました。現在、中央広場の高い台座にスフバートル像が飾られていますが抑留者が現場に狩りだされたのです。建設機械もない中で飢えと寒さと伝染病で一 割り以上の戦没者が出ました。モンゴル、ロシアの抑留死で沢山たくさん遺児が排出されたのです。


池田様、ご苦労の中にも努力が実り現在はご主人様はじめ立派なご家庭を築かれておいでですね。
ご家族の幸せを守りながら平和のため日中友好の活動をぜひとも大きく育てて下さいますよう祈念いたしております。


鈴木富佐江

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